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星のカービィの裏設定、都市伝説、小ネタを紹介!【随時追加】

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どうも!きんこま(@KINKOMAcom)です。

今では任天堂の看板キャラクターといっても過言ではない「星のカービィ」

ニンテンドースイッチでも「星のカービィスターアライズ」が発売されたり、スマブラSPでは「灯火の星」というカービィを主人公にした新モードもあります。

そんなカービィですが、カービィシリーズ第1作ゲームボーイ用ソフト「星のカービィ」発売までに一波乱ありました。

そんなことも紹介しながら、星のカービィの裏設定や都市伝説を紹介します!

開発当初は「ティンクル☆ポポ」という名前だった?

「星のカービィ」は任天堂から発売されましたが、当初は開発元である「HAL研究所」が発売する予定でした。

HAL研究所は、現在有限会社ソラ社長の桜井政博氏が所属していた会社です。

桜井氏は星のカービィの生みの親でもあります。

開発当初星のカービィは「はるかぜポポポ」として開発されていました。

それから「ティンクル☆ポポ」に名前を変え、雑誌広告にも登場し、HAL研究所の自社ブランドとして発売される予定でした。


引用:Video Games Densetsu: Hoshi no Kirby / 星のカービィ, AKA Kirby’s Dream Land...

ここまで発表しておいて「ティンクル☆ポポ」としては発売されませんでした

なぜ星のカービィとして発売されることになったのかというと、任天堂の宮本茂氏(マリオの生みの親)にティンクル☆ポポを見せたところ、名前を含めたいくつかのポイントを調整され、発売されたからです。

しかし真相は「HAL研究所」の経営が悪化したせいだという噂もあります。

当時HAL研究所はゲーム制作だけでなく、バブル景気に乗じて不動産投資も行なっていました。

しかし、不動産投資事業失敗や、ゲームソフトの売り上げ不振により1992年に和議を申請しています。

和議を申請するということは、簡単にいうと会社が破産する手前の状態に陥ったということです。

この経営危機により、ティンクル☆ポポの発売は中止になると言われていました。

そんな時に任天堂がHAL研究所に出資してセカンドパーティー化することで「星のカービィ」として発売することができました。

表向きは宮本氏の助言によって良いゲームになったとされていますが、実際は出資元の任天堂から手が加わったという噂です。

実際に良いゲームになったので大成功と言えなくもないですが、裏では色々な動きがあったとされています。

ちなみに「プププランド」や「デデデ大王」ボス敵の「ロロロとラララ」と言った名前は「ポポポ」からの名残です。

後に発売するスーパーファミコン用ソフトの「星のカービィ スーパーデラックス」では初代カービィのステージを再構築し、「はるかぜとともに」というモードが存在します。

このはるかぜは最初期の「はるかぜポポポ」からきたものだと思います。

カービィには色がなかった?

色々あったけど無事に発売したゲームボーイ用ソフト「星のカービィ」

しかし、発売後もちょっとしたトラブルがありました。

海外で発売された「星のカービィ」のパッケージ画像です。

引用:Amazon | Kirby's Dream Land 北米英語版 並行輸入品 | ゲームボーイ

色が白くて違和感がありますね。

開発段階でのカービィは色の設定がありませんでした。

白黒のゲームボーイ用ソフトなので、ゲーム内でカービィは白色で表示されます。

カービィの色をピンク色だと思っていたのはディレクターの桜井氏だけだったらしく、海外で発売される際に、色の設定が伝わらず、白色になってしまったと言われています。

海外版パッケージはカービィが少し怒ってる

日本では可愛いイメージの強いカービィですが、海外では少しイメージが違うようです。

 星のカービィ夢の泉デラックス(Kirby NIGHTMARE IN DREAM LAND)


星のカービィ 鏡の大迷宮(Kirby & THE AMAZING MIRROR)


カービィのエアライド(Kirby AIR RIDE)


タッチ!カービィ(Kirby Canvas Curse)

星のカービィ 参上!ドロッチェ団(Kirby Squeak Squad)

海外版の方が目がキリッとしていて少し怒っているかっこいいイメージになっていますね。

海外だとカービィのキャラ設定が日本とは違うように定着してしまったのかもしれません。

星のカービィウルトラスーパーデラックスからは日本と海外のパッケージは一緒になりました。

初代カービィにはコピー能力がない

今ではおなじみとなったカービィのコピー能力は初代「星のカービィ」にはありませんでした。

コピー能力は2作目の「夢の泉物語」で考えられたものです。

初代カービィ開発当時はゲーム全般の難易度が高い傾向にありました。

そんな中、ゲーム初心者にも楽しめるよう、シンプルに作られたのが星のカービィです。

ティンクル☆ポポの雑誌広告を見ても小学生以下、中学生、女性をターゲットにしたゲームであれことがわかります。

結果的に世界で累計500万本以上の売り上げを記録することになりました。

この時点でコピー能力があったらゲームが複雑化し、ここまでの大ヒットにはならなかったかもしれませんね。

カービィのボツ設定にスマブラのシステムがあった?

星のカービィの開発元であるHAL研究所はスマブラシリーズの開発元でもあり、桜井氏は両方の開発に携わっています。

まずは初代カービィの企画書を見てみましょう。

ゲームボーイ画面を逆手に取った画面外ミス方式について

自機が画面外に飛び出すと1ミスとなります。

自機には体力があり、体力のあるときは弾かれ難く、体力のないときは弾かれ易くなります。

引用:桜井政博氏が語る、初代『星のカービィ』開発秘話。当時の企画書に、あのゲームの原点があった?(2/2) - ファミ通.com

スマブラに採用されている蓄積ダメージシステムは初代カービィの企画の段階で考案されていたのです!

カービィではこの設定がつくことはありませんでしたが、星のカービィ発売から約7年後、スマブラでこのシステムが採用されました。

スマブラの企画段階で、カービィのボツ設定に蓄積ダメージシステムがあることは忘れていたと語っていますが、どちらも人気ゲームとなった今、共通点があるとわかると、ファンとしては嬉しいですね。

メタナイトの剣の名前はギャラクシア


引用:キャラクター紹介 メタナイト | 星のカービィポータル

当初メタナイトの剣には特に決まった名前はなく、鍔(つば)の部分に赤い玉ある両刃剣でした。

のちにカービィがアニメ化した際に、雷の様なデザインの剣となり、アニメ60話で「宝剣ギャラクシア」という名前であることがわかりました。

アニメ放映以降、ゲームでもギャラクシアの様な剣を持つ様になり、大乱闘スマッシュブラザーズXに登場した際、超必殺技である最後の切りふだの名前が「ギャラクシアダークネス」と、ゲームでもギャラクシアとする様になりました。

これを皮切りにゲームでもギャラクシアという名前で登場する様になります。

アニメの設定を逆輸入した形になりました。

ゼルダの伝説 夢見る島に敵キャラとしてカービィが登場する

ゼルダの伝説 夢見る島は1993年に発売されたゼルダシリーズ初のゲームボーイ用ソフトです。

Lv7大鷲の塔のダンジョンで敵キャラとしてカービィが登場します。

任天堂の元社長である故岩田聡氏のインタビュー企画、「社長が訊く」シリーズでのインタビューが面白いので引用します。

手塚 そうなんだ。

青沼 「『ツイン・ピークス』みたいに」と言いながら、
マリオやルイージに似た人とかが出てましたよね。

手塚 うん。あと、カービィとかも。

青沼 ・・・それって、HAL研究所さんに
ちゃんとことわりを入れたんですか?

手塚 どうだったかな・・・。

青沼 えっ、覚えてないんですか?

手塚 よく覚えてないなあ。
ちゃんとことわったと思うけどなあ・・・。

青沼 ほんとに大丈夫なんですか・・・。

手塚 うーん、どうだったか・・・。

(会議室のドアが開いて)

岩田 すみません、お待たせしました。

〜〜中略〜〜

手塚 で、『夢をみる島』は
すごく特殊なノリでつくったのを覚えているんです。
もともとクラブ活動のノリではじめているので、
すごく奔放なんです、中身が。
見ていただければわかりますけど、
マリオやルイージに似た人が出てくるし、
ヨッシーの人形も出てきますし。

岩田 マリオやルイージに似た人?

手塚 ええ(笑)。

岩田 そんなことが許されたんですか?

手塚 ゲームボーイだし、まあいいかと(笑)。

一同 (笑)

青沼 表現がそこまで行ってなかったですし。

手塚 そうそう、モノクロでしたからね。
なので、割と軽いノリでどんどん進めていきました。
だからなのか、つくってることがすごく楽しかったんです。
ゼルダのパロディをつくってる感じですね。

岩田 自分たちでパロディですか(笑)。

手塚 はい(笑)。

岩田 でも、任天堂のゲームであっても
マリオやルイージに似た人が出てきて、
それを勝手に進めていたら、
いまはエライことになると思うんですけど。

手塚 僕なら怒りますね(キッパリ)。

一同 (笑)

中郷 マリオやルイージに似た人だけでなく、
カービィに似たのも出てきたんですよ。

岩田 はい?

手塚 あの・・・→カービィも入ってるんです。
ちゃんとお伺いは立てたと思うんですけど・・・。

岩田 ああ(笑)。

手塚 ひょっとしたら、HAL研究所さんに
「何も聞いてません」という人がいるかもしれないかなと。

岩田 そうかもしれないですね。
まあ、当時、世の中でどのくらいの人たちが
カービィだと認識していたかはわかりませんけどね。

青沼 でも、このキャラクターはリンクの敵として現れて、
近づくと吸い込まれちゃうんです(笑)。

岩田 でも、あの頃のカービィはまだ駆け出しですから、
『ゼルダ』に出していただけるだけで、
ありがとうございますという感じだったと思いますよ。

引用:社長が訊く『ゼルダの伝説 大地の汽笛』

インタビューによると、当時きちんと許可を取ったのか定かではないのが、今では考えられないですね。

それでも、岩田氏の「あの頃のカービィはまだ駆け出しですから、『ゼルダ』に出していただけるだけで、ありがとうございますという感じだったと思いますよ。」という言葉で全て許される気がしますね。

岩田氏はプログラマーとして初代カービィの開発に携わっていました。

まとめ

まだまだカービィ関連のネタはあるので、徐々に追加していきたいと思います。

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